「あのぉ、このクリームって自分で作れますか?」
私が毎週自宅近くのカフェの片隅で開いているハンドトリートメントのコーナーでのことだ。私の本業はネイルサロンの店員だ。昼間、自由な時間があるので、宣伝を兼ねてランチの時間にカフェでOLのハンドトリートメントをする。10分ワンコインという手軽さがいいのか、時間の間に四、五人の依頼がある。そんなOLさん達に混じって、Tシャツにコットンパンツ、スモックを着た小柄な三十歳くらいの女性に聞かれた。カフェではランチタイムということもあるので、香りは控えめにしている。最近は華やかなフレグランスがドラッグストアの人気商品になるようだけど。
「作れますよ、もちろん」
私は、クリームでもローションでも自分でブレンドする。特に出張トリートメントの時は、すぐに作れるものでないと準備が大変なので、簡単なものばかり。その時はベースクリームにアロマオイルを数滴入れたものだった。
「職場で、使えないかな…と、思って」
職場という言い方で、お役所か保育園か、介護施設とあたりをつけた。
「もしかして、介護施設のスタッフさんとか?」
はたして、その女性は目を見開いて、嬉しそうに笑った。
「どうしてわかるんですか?うちのホームのおじいちゃんに、…あ、利用者さんにどうかな~って思って」
「もちろん大丈夫です。今、流行ってるでしょう、アロマ。レクの時間に取り入れたりして」
レクというのは、レクリエーションの略で、介護現場では大抵縮めて「レク」と言う。
「テレビでやったんですよね、ええと、ローズなんとかと、ラベンダー。それから、レモンだったかな…」
少し前にテレビ番組で三、四種類のアロマオイルを特集したことがあって、都内のアロマショップでそのアロマオイルが品切れになる勢いだったことがある。おそるべしテレビ。
「あ、でも、ダメなんですよぉ~、うちでは。テレビでやったヤツ」
「香りがキツイとか言われたでしょ」
ショートボブの頭がコクンと揺れた。こちらを見る目に残念さか正直に出ていた。
「施設長がね、少し昔風の人なんですぅ。お年寄りにはキツイ匂いはちょっとね~って」
たしかにそうかもしれませんねと私はうなづいた。
日本のなじみの香りとは違うアロマオイルの香りは、人によって受け取り方に差が出る。女性に人気と言われるラベンダーなども、男性には不人気だったりする。香りは直接脳を刺激するので、使い方を間違えると大変である。反応が出やすい高齢者や子供が居るところでは、どの精油をどのくらい使うかは、特別慎重に決める。そんな私の話にうなづく様子を見て、訊ねてみたくなった。
「どうして、このクリームを使いたくなったの?」
…ん、と詰まってから、首をかしげて
「なんだかね、懐かしい感じ…田舎の夏休み的な香り??」
その表現で、なんだか楽しくなってしまった。笑い出した私をみて、
「あ…、失礼ですよね、ごめんなさい」
「いえいえ、なんだか、うれしいイメージだったので…」
ショートボブの彼女は、小野千波さん。四国の海辺生まれなんだそうだ。
千波という名は、漁師さんだったおじいちゃんがつけてくれたのだとか。
話を聞いてみると、懐かしい理由がわかった。千波さんのご両親は果物農家だという。
実はクリームには、隠し香に高知産のゆずが入っていた。
収穫時にはゆずの香りにつつまれて、家業の手伝いをしていたそうだから、ほんの少しでも
その香りに反応するのだ。人間の嗅覚の記憶は捨てたものではない。
「でも、ゆずだけではなさそうです。だから、気になったのかも」
それでは…と、作ってあったクリームを小さな容器に小分けして、千波さんに渡した。
「これ、何の香りがするか、考えてみませんか? 今日は敢えてお話しませんから」
千波さんの目が輝いた。
「できたら職場でも、ハンドクリームで使ってみてください。施設長さんやほかの職員の方、利用者さんにも、それとなく香りをお伝えできるかもしれませんよ」
「施設長かぁ…。ん、でもやってみよう!! ありがとうございます」
「時間がとれたら、報告しに来てくださいね。その時、回答を教えますから」
「えっと、いつこれるかわからないですけど」
「お店でみかけたらでもいいし、先に連絡くれてもいいですよ」
名刺をクリームに添えて渡した。千波さんはそれを受け取ると壁の時計をみて
「あぁっ!お昼時間終わっちゃう!!!大変だ~!」
と、脱兎のごとくに駆け出して行った。
千波さんより先に、ハンドトリートメントで使ったクリームのレシピをご紹介しておこう。
黒文字と生姜のハンドクリーム
ベースクリーム 50g アロマセラピー用に作られた無香料のクリーム基材。
精油: 全体の1%以内になるように ランチ時なので控えめでした。
埼玉黒文字 5滴 高知生姜 3滴 高知ゆず 1滴