今年始まったこと

covid19・・・新型コロナウィルス。
その世界的な感染の広がりによって、世界が止まったかのようになった。
春、本来なら、新しい芽吹き、新しい年に活気あふれるはずの時期が、
未知のウィルスによる健康被害と、死に至る可能性等の恐怖で覆われた。
毎日のように情報が更新され、感染者数、死亡者数がどんどん増えていく事態に
先の見えないトンネルに入ってしまったかのようにみえた。

今も、収束はしていないし、地域によっては再び感染拡大の様相をみせているところもある中で、つい一年前のような、世界中を自由に旅行できる…といった環境は、回復できていない。

それどころか、同じ街中であっても、お互いに距離を保たなければならない、外出時はマスク必須。大声で騒いだり、歌ったりなどということはできない。
酒宴で騒ぐなどもってのほか、親睦会なども軒並み中止となっている。
音楽や演劇などの舞台芸術は、半年の間はほぼ活動中になり、夏をすぎてやっと
上演の基準を守っての公演が再開されはじめた…けれど。

これは、なんなのだろう…。

不安がある中でも、日々は過ぎていき、否応なく適応して生きることを余儀なくされた。
幸いなことに、マスクは数年前からPM2.5によるアレルギー反応を予防する為に使っていて、洗って使えるマスクやフィルターが十分にあったし、消毒用のアルコールやウェットティッシュ、その他感染防止に役立つものは、アロマセラピーをしていた関係で手元にあった。

もともとインフルエンザ等の感染防止には気を使っていたこともあり、通常運用とさほど変わらない準備で済んではいたものの、外出することも、日常の買い物以外は控えるようにという風潮に、かなり面食らった。

なにしろ、仕事で通勤することすら、自粛するようにと国から非常事態宣言がでるなんてことは、今まで経験したことがない。自粛して仕事しなくていいという訳にはいかないだろうと思っていたが、自分の生活範囲での出来事としては、自宅勤務というよりは、自宅待機の人が多かった。なにしろ上からは仕事をしろという指令は出ていなかった。仕事をしている身としては、今年の予定からすると、単に手をこまねいているわけにはいかない。この状況下で何ができるか、どういう方法が残されているかくらいは探っておかなければ、この後、いざっていう時に何の策もできないのでは、担当としての責任が果たせない。

自宅勤務するので…と上に伝えて、独りぼっちの暮らしが始まった。
程なく、上から、仕事をするのならば、毎日連絡をしろという指令があった。
言われなくたって、自分がどれだけのことができるかは、上に知っておいてもらうくらいはしないと、先行き何かあった時に困るから、報告はする。上が理解しようとしまいと、自分が何をやったかは記録に残しておくつもりだった。

動き出した世界と

そこに生きる人々は、どう折り合いをつけていくのだろう?

このところ、そんなことを考えている。

人類があちこちで起こしている、公害や戦争などの破壊と
それを振り払うかのような自然災害の数々
公になっていない破壊行為は、一目には触れなくても
地球に隠し立てすることはできない。

そして、知ってか知らずか、地球に生きる命はすべからく地球である・・・ということ。

自傷行為は、未熟な魂の負のエネルギーの発散に思える。
個の自立、自律や成長は、全体性の中にしかない。
権利も義務も、全体があってこそである。

正しく財を極めたものは、いずれ全体へと戻っていく。

正しく名声を極めたものも、いずれ全体へと戻っていく。

何を成すにしろ、成し遂げるところを目指し続けなければわからないことがある。

木々と人の繋がり

4-5年ほど前だったと思う。地球交響曲第八番というオムニバスドキュメンタリー映画の制作時に、その周辺のイベント等のお手伝いをしたことがある。

その映画を一観客として観てきた。

地球交響曲のシリーズは、私のアンテナに引っかかった物事が時々取り上げられていて、それだけでも嬉しくなる映画だけれど、八番を手伝う気になったのは、テーマが木、樹木と人のことだったから。

特に八番は、そもそも東日本大震災を期に構想が錬られたらしく、めずらしく日本人ばかりを取り上げた作品になっている。バイオリン創り・中澤宗幸、バイオリニスト・中澤きみ子、能面師・見市泰男、能楽師、奈良の天河神社の宮司、梅若玄祥(能楽師・人間国宝)、畠山重篤(牡蛎養殖業 NPO森は海の恋人理事長)、畠山信(NPO森は海の恋人 副理事長) 、その他それぞれのエピソードに関わる人々が出演している。明治神宮の宮司さん、大鼓の大倉正之助さんなど。

まるっきり直接の縁などはないのだけれど、明治神宮は幼いころからずっとお正月に初もうでをしてきたお社だし、能楽は能管をやったり、新作能の制作のお手伝いをしたことがある(その時の中心人物に大倉正之助さんがいたけれど)。天河神社はこんなにメジャーになる前に訪れたことがあり、その後もまるで別な用件で出向いた。山の木々は精油や山登りで親しんでいるし、海も磯で潜ったりするのは子供の頃からの話である。バイオリン創りは、そういう内容の絵本を好きで朗読していて、その姿にそっくりな木々との対話をする製作者であったり、子供にバイオリンを教えるときのアプロ―チがイメージづくりから入るという、親近感沸くバイオリニストだったりと、手伝うには十分すぎるほどの接点ある内容だった。 子供の頃からのあれこれが全部詰まっているようなものだった。

とりわけ、自然との交流は、子供の頃からの習性であって、改めて映画という形で見ると、ああなるほどな…と思うのだが、つまりは日常に起きていることがらで、ともすれば見逃してしまうような繋がりがあるのだ。自然は、ごく当然のごとく、様々なことを教えてくれる。怖いこと、悲しいこと、楽しいこと。驚愕するような素晴らしい景色や絶妙なタイミングで起きる気象の姿。草木の季節の巡り、風や土、水の匂い、ぬくもりなど。人以外の生物の在り様。町中から山頂まで、それぞれに祭られている神々の社や祠。人の幸せの在り方。命の意味。

ちょうど、その映画を作っている時は、自分もある転機だった。逃げ出しても不思議ではないような事柄や、不条理な思い、ともすればすべて投げ出したくなったりしていけれど、必ず「生きよ」という答えが浮かんでいた。少なくとも何事か、必要とする物事を進める力として配置されているならば、それを完結するまでは生きるという暗黙の認識が二十歳を過ぎたころにはあった。

木々とは地球の触手のようだと思う。地球の肌の上に生きる命と交流し、必要な養分を分け与え、命が終わる時には、土に還るものを受け入れる。

今年、ベランダで育てていた鉢の木々の大半が枯れた。数日前まで大きく葉を広げていたのに、突然、総ての枝葉がしなびていった。慌てて、家の中に取り込み、土を変えたりしてみたけれど、かろうじて芽を出したものも、育たないやせ細った小さな葉だけだった。

人は酷いことをするなと思う。それも悪びれずに。それが自分たちにも及ぶとは思ってもいないのだろう。庭の雑草を処分するために撒く除草剤は、雑草だけに効くのではない。草木だけに影響するのではなく、草木と共に生きる生物にも影響を与え、つまりは人間にも影響を与えている。除草剤だけではなく、過剰な成長促進剤や、殺虫剤や除菌剤の類も。めぐり巡って人の世にも多大な影響をもたらしている。

学校の勉強が、個々の分野しかみない、しかも質問に対して一つの答えだけを覚えるようなものになってから、全体を把握する力のない人々が増えた…ように思う。その顕著な例が医者だ。私が子供の頃には、内科でありながら、目の事や外科的なことも日常範囲でなら診ることができ、適切な処置をしてくれるお医者さんが町内にいた。今は自分の専門分野の病気や疾患についてすら、まともに診察できず、症状をきいて、効き目があると言われている薬の中から、順番に処方していき、一週間ごとに効き方の良し悪しで薬を変えるか継続するか…といったことに終始している。

そんなことなら…と思う。人間が自然の中で学んできた昔からの療法の方が的を得ている。実際、医療関係でもらった薬より、自分で選んだハープや漢方薬、精油や徒手療法の方が、納得のいく成果を出している。

なんだかなぁと思う。人はどこを見て生きているのだろう。

自然は厳しく恐ろしい面もあるが、それとて人の都合で見た場合である。不必要なことなど自然には何一つない。木々はその命の務めを精一杯に果たし、それが短かろうと、長かろうと、生きるという方向を全うしていく。 生きている時は木陰を作り、土を肥やし、動物たちに糧を与え、水を浄化し、空気を作り…。その生き方が、へこたれようとしている人に「生きよ」というメッセージとなった届いている…とも。

ひのき風呂

礼子さんがひさしぶりにトリートメントに来た。半分友達のようなお客様。出産があったので、前回は半年以上前だった。その時は、少々悩んでいたことがあって、メールでフォローしたのだった。その礼子さんに起きた、ひと騒動を紹介しようと思う。

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母の日

ウチの母の誕生日は、5月8日。そう、母の日である。世間が、一ヶ月以上前から「母の日には~」とか「日頃言えない感謝をこめて」!と、いらぬことを叫び続けてくれるので、ここ10年程は欠かさずプレゼントを届けている。ありがたいことに、何にしようというまでもなく、町に出ればここそこにプレゼント用にセットした商品が並んでいるし、仕事の合間に携帯でネットショッピングでポチっとしてもいい。横着な娘だと思われるかもしれないが、自分がほしくなるようなきれいにラップされてメッセージまでついているパッケージがあるのだ。。。ついコストパフォーマンスでそちらを選ぶ。
ところが、だ。兄の娘で小学校5年の絵美ちゃんが、お母さんのかわり~と言って、手作りのコースターをくれた。そこで歯車が別なギアとかみ合った。
兄は絵美ちゃんのお母さんとは別れてしまっていて、絵美ちゃんは女の子の相談ごとは私のところにしてくる。兄にも彼女は居るのだけどね・・・。いかんせん、若すぎてどうもそんな感じではないのだ。私は自営のセラピストだから、サロンは、絵美ちゃんが放課後立ち寄れる居場所の一つにもなっている。
学校の工作の時間に、母の日のプレゼントを作ることになって、絵美ちゃんは五枚もコースターを作ってくれた。なんでも、サロンで出す飲み物のコースターが使い捨ての紙のだったから残念に感じていたそうなのだ。・・・なんてトコみてんだろう・・・。
絵美ちゃんが帰った後、サロンの片づけをして、作ったばかりの月桃のコーディアルの味見をしながら、コースターをみていたら、なんだか嬉しいような、はずかしいような気持になった。

自分の母になにをあげたらいいんだろう、と改めて考えると何も浮かんでこない。時折、母にハンドマッサージしたり、バスソルトをバスタブに入れておいたりしたことはあるが、母は娘の仕事を定かには知らない。
飲み干したコーヒーカップを片づけ、サロンを出た。携帯が鳴った。兄からだ。
「もしもし、おれ」  幾つになっても名乗るということを知らない。
「絵美ちゃん、帰ったよ」
「うん。今風呂入ってる」
「なんか?」
「おふくろがさ、調子悪いみたい」
「え?ウチ行ったの?」
「うん・・・ちょっと寄った。なんか、首痛いらしいよ」
「えー、首?!どこかぶつけた?」
「いや、そういうんじゃなさそう」
「ちょっとぉ、使えないなぁ、兄貴でしょ」
「だって、急いでたんだもん」
少々ムカついたので、電話を切った。そのまま母に電話をした。
「もしもし」
「あら、あんたまで。さっき来たわよ、兄の方が」
「首痛いんだって?なんかやったの?」
「うたたねしちゃったの、電車で」
「大丈夫なの」
「まあね・・・」
「寝違いかな、首熱い?」
「そうでもない」
「寝る時、首のところにバスタオル入れて」
「はーい」
母は子供たちと喧嘩をほとんどしたことがない。父が早くになくなったから、喧嘩している暇は母にはなかったのかもしれない。私と兄がよく喧嘩をしていたから、止め役だったこともある。子供の言うことにもいちいち耳を傾けていた。それは今もかわらない。
ちょっとした沈黙の間に、私はプレゼントのことを思い出していた。
「あの、さ。ちょっとみてあげる、週末行くよ」
「あら、そう。わかった」
電話を切った自分の鼓動が速くなっていて、苦笑いした。なれないことするもんじゃない。さて・・・。
母もずいぶん年をとっている。得意の裁縫するのに糸が針に通らないと言っていたのは、いつだったろう。

そのときひらめいた。あずき。

母が去年、冬至に食べるんだと言って一キロはある小豆を買って、余ったものを私に押しつけたのだ。北海道の物産展で断りきれずに買っ

てきた小豆は確かにおいしかったけど。

小豆を袋ごと取り出し、キッチンの引き出しから晒した手ぬぐい地を一枚取り出した。手ぬぐいを幅のままに二つに切り、さらにそれを二重にしてから、二つに畳んで縫い合わせる。縫い目を中に返して片端をぐし縫いして留める。割れているものは外ずして、タオルでザッと磨いておいた小豆を袋の中に入れて、開いている袋の口をぐし縫いして留める。これで完成。自然素材のホットパックだ。

早速、電子レンジで一分暖め、タオルにくるんで肩に乗せてみた。やわらかな小豆の香りとともに、じんわりと暖かさが肩と首に降りてくる。化学製品のジェルのホットパックや、化学反応を利用した使い捨てカイロはよく使うけれど、それとはだいぶ使い心地が違う。暖かさが伝わるのに併せて、身になじんでくる。不思議なやさしい感覚だ。ふと、香りを足してみようと思い、羊毛フェルトにほんの少し、高知のショウガの精油を付け、パックとタオルの間に挟んで、再び肩に乗せた。かすかなあずきの香りにショウガの香りが効いている。母が気に入りそうだ。