木々と人の繋がり

4-5年ほど前だったと思う。地球交響曲第八番というオムニバスドキュメンタリー映画の制作時に、その周辺のイベント等のお手伝いをしたことがある。

その映画を一観客として観てきた。

地球交響曲のシリーズは、私のアンテナに引っかかった物事が時々取り上げられていて、それだけでも嬉しくなる映画だけれど、八番を手伝う気になったのは、テーマが木、樹木と人のことだったから。

特に八番は、そもそも東日本大震災を期に構想が錬られたらしく、めずらしく日本人ばかりを取り上げた作品になっている。バイオリン創り・中澤宗幸、バイオリニスト・中澤きみ子、能面師・見市泰男、能楽師、奈良の天河神社の宮司、梅若玄祥(能楽師・人間国宝)、畠山重篤(牡蛎養殖業 NPO森は海の恋人理事長)、畠山信(NPO森は海の恋人 副理事長) 、その他それぞれのエピソードに関わる人々が出演している。明治神宮の宮司さん、大鼓の大倉正之助さんなど。

まるっきり直接の縁などはないのだけれど、明治神宮は幼いころからずっとお正月に初もうでをしてきたお社だし、能楽は能管をやったり、新作能の制作のお手伝いをしたことがある(その時の中心人物に大倉正之助さんがいたけれど)。天河神社はこんなにメジャーになる前に訪れたことがあり、その後もまるで別な用件で出向いた。山の木々は精油や山登りで親しんでいるし、海も磯で潜ったりするのは子供の頃からの話である。バイオリン創りは、そういう内容の絵本を好きで朗読していて、その姿にそっくりな木々との対話をする製作者であったり、子供にバイオリンを教えるときのアプロ―チがイメージづくりから入るという、親近感沸くバイオリニストだったりと、手伝うには十分すぎるほどの接点ある内容だった。 子供の頃からのあれこれが全部詰まっているようなものだった。

とりわけ、自然との交流は、子供の頃からの習性であって、改めて映画という形で見ると、ああなるほどな…と思うのだが、つまりは日常に起きていることがらで、ともすれば見逃してしまうような繋がりがあるのだ。自然は、ごく当然のごとく、様々なことを教えてくれる。怖いこと、悲しいこと、楽しいこと。驚愕するような素晴らしい景色や絶妙なタイミングで起きる気象の姿。草木の季節の巡り、風や土、水の匂い、ぬくもりなど。人以外の生物の在り様。町中から山頂まで、それぞれに祭られている神々の社や祠。人の幸せの在り方。命の意味。

ちょうど、その映画を作っている時は、自分もある転機だった。逃げ出しても不思議ではないような事柄や、不条理な思い、ともすればすべて投げ出したくなったりしていけれど、必ず「生きよ」という答えが浮かんでいた。少なくとも何事か、必要とする物事を進める力として配置されているならば、それを完結するまでは生きるという暗黙の認識が二十歳を過ぎたころにはあった。

木々とは地球の触手のようだと思う。地球の肌の上に生きる命と交流し、必要な養分を分け与え、命が終わる時には、土に還るものを受け入れる。

今年、ベランダで育てていた鉢の木々の大半が枯れた。数日前まで大きく葉を広げていたのに、突然、総ての枝葉がしなびていった。慌てて、家の中に取り込み、土を変えたりしてみたけれど、かろうじて芽を出したものも、育たないやせ細った小さな葉だけだった。

人は酷いことをするなと思う。それも悪びれずに。それが自分たちにも及ぶとは思ってもいないのだろう。庭の雑草を処分するために撒く除草剤は、雑草だけに効くのではない。草木だけに影響するのではなく、草木と共に生きる生物にも影響を与え、つまりは人間にも影響を与えている。除草剤だけではなく、過剰な成長促進剤や、殺虫剤や除菌剤の類も。めぐり巡って人の世にも多大な影響をもたらしている。

学校の勉強が、個々の分野しかみない、しかも質問に対して一つの答えだけを覚えるようなものになってから、全体を把握する力のない人々が増えた…ように思う。その顕著な例が医者だ。私が子供の頃には、内科でありながら、目の事や外科的なことも日常範囲でなら診ることができ、適切な処置をしてくれるお医者さんが町内にいた。今は自分の専門分野の病気や疾患についてすら、まともに診察できず、症状をきいて、効き目があると言われている薬の中から、順番に処方していき、一週間ごとに効き方の良し悪しで薬を変えるか継続するか…といったことに終始している。

そんなことなら…と思う。人間が自然の中で学んできた昔からの療法の方が的を得ている。実際、医療関係でもらった薬より、自分で選んだハープや漢方薬、精油や徒手療法の方が、納得のいく成果を出している。

なんだかなぁと思う。人はどこを見て生きているのだろう。

自然は厳しく恐ろしい面もあるが、それとて人の都合で見た場合である。不必要なことなど自然には何一つない。木々はその命の務めを精一杯に果たし、それが短かろうと、長かろうと、生きるという方向を全うしていく。 生きている時は木陰を作り、土を肥やし、動物たちに糧を与え、水を浄化し、空気を作り…。その生き方が、へこたれようとしている人に「生きよ」というメッセージとなった届いている…とも。