ウチの母の誕生日は、5月8日。そう、母の日である。世間が、一ヶ月以上前から「母の日には~」とか「日頃言えない感謝をこめて」!と、いらぬことを叫び続けてくれるので、ここ10年程は欠かさずプレゼントを届けている。ありがたいことに、何にしようというまでもなく、町に出ればここそこにプレゼント用にセットした商品が並んでいるし、仕事の合間に携帯でネットショッピングでポチっとしてもいい。横着な娘だと思われるかもしれないが、自分がほしくなるようなきれいにラップされてメッセージまでついているパッケージがあるのだ。。。ついコストパフォーマンスでそちらを選ぶ。
ところが、だ。兄の娘で小学校5年の絵美ちゃんが、お母さんのかわり~と言って、手作りのコースターをくれた。そこで歯車が別なギアとかみ合った。
兄は絵美ちゃんのお母さんとは別れてしまっていて、絵美ちゃんは女の子の相談ごとは私のところにしてくる。兄にも彼女は居るのだけどね・・・。いかんせん、若すぎてどうもそんな感じではないのだ。私は自営のセラピストだから、サロンは、絵美ちゃんが放課後立ち寄れる居場所の一つにもなっている。
学校の工作の時間に、母の日のプレゼントを作ることになって、絵美ちゃんは五枚もコースターを作ってくれた。なんでも、サロンで出す飲み物のコースターが使い捨ての紙のだったから残念に感じていたそうなのだ。・・・なんてトコみてんだろう・・・。
絵美ちゃんが帰った後、サロンの片づけをして、作ったばかりの月桃のコーディアルの味見をしながら、コースターをみていたら、なんだか嬉しいような、はずかしいような気持になった。
自分の母になにをあげたらいいんだろう、と改めて考えると何も浮かんでこない。時折、母にハンドマッサージしたり、バスソルトをバスタブに入れておいたりしたことはあるが、母は娘の仕事を定かには知らない。
飲み干したコーヒーカップを片づけ、サロンを出た。携帯が鳴った。兄からだ。
「もしもし、おれ」 幾つになっても名乗るということを知らない。
「絵美ちゃん、帰ったよ」
「うん。今風呂入ってる」
「なんか?」
「おふくろがさ、調子悪いみたい」
「え?ウチ行ったの?」
「うん・・・ちょっと寄った。なんか、首痛いらしいよ」
「えー、首?!どこかぶつけた?」
「いや、そういうんじゃなさそう」
「ちょっとぉ、使えないなぁ、兄貴でしょ」
「だって、急いでたんだもん」
少々ムカついたので、電話を切った。そのまま母に電話をした。
「もしもし」
「あら、あんたまで。さっき来たわよ、兄の方が」
「首痛いんだって?なんかやったの?」
「うたたねしちゃったの、電車で」
「大丈夫なの」
「まあね・・・」
「寝違いかな、首熱い?」
「そうでもない」
「寝る時、首のところにバスタオル入れて」
「はーい」
母は子供たちと喧嘩をほとんどしたことがない。父が早くになくなったから、喧嘩している暇は母にはなかったのかもしれない。私と兄がよく喧嘩をしていたから、止め役だったこともある。子供の言うことにもいちいち耳を傾けていた。それは今もかわらない。
ちょっとした沈黙の間に、私はプレゼントのことを思い出していた。
「あの、さ。ちょっとみてあげる、週末行くよ」
「あら、そう。わかった」
電話を切った自分の鼓動が速くなっていて、苦笑いした。なれないことするもんじゃない。さて・・・。
母もずいぶん年をとっている。得意の裁縫するのに糸が針に通らないと言っていたのは、いつだったろう。
そのときひらめいた。あずき。
母が去年、冬至に食べるんだと言って一キロはある小豆を買って、余ったものを私に押しつけたのだ。北海道の物産展で断りきれずに買っ
てきた小豆は確かにおいしかったけど。
小豆を袋ごと取り出し、キッチンの引き出しから晒した手ぬぐい地を一枚取り出した。手ぬぐいを幅のままに二つに切り、さらにそれを二重にしてから、二つに畳んで縫い合わせる。縫い目を中に返して片端をぐし縫いして留める。割れているものは外ずして、タオルでザッと磨いておいた小豆を袋の中に入れて、開いている袋の口をぐし縫いして留める。これで完成。自然素材のホットパックだ。
早速、電子レンジで一分暖め、タオルにくるんで肩に乗せてみた。やわらかな小豆の香りとともに、じんわりと暖かさが肩と首に降りてくる。化学製品のジェルのホットパックや、化学反応を利用した使い捨てカイロはよく使うけれど、それとはだいぶ使い心地が違う。暖かさが伝わるのに併せて、身になじんでくる。不思議なやさしい感覚だ。ふと、香りを足してみようと思い、羊毛フェルトにほんの少し、高知のショウガの精油を付け、パックとタオルの間に挟んで、再び肩に乗せた。かすかなあずきの香りにショウガの香りが効いている。母が気に入りそうだ。